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戦後80周年            沖縄の最貧困地帯を渡り歩いて    見えて来た現実           連鎖する戦争トラウマ「性の傷」

週末のコザの街中の喧騒 撮影日2025年6月


文責:瀬川牧子

 

日本で唯一の米軍と日本軍の地上戦となった「沖縄戦」。各メディアでは「戦後80年」という特集名で第二次世界大戦が取り上げられている―。戦後という言葉を使うのを私は好きではない。戦争は完全には終わってはない。沖縄に足を踏み入れる度に、戦争の傷の連鎖を見ている。最も顕著な実例が、「性暴力が残す負の遺産」だ。それは世代を超えて傷は受け継がれていく。戦争が残した最大のトラウマだ。人間関係を深めていくにつれて、10代前半から80代後半の多岐に及ぶ世代の沖縄の女性らが、赤裸々に性暴力被害のおぞましい実態を話してくれるようになった。


夜のコザの繁華街の様子
夜のコザの繁華街の様子


コザの住宅地にある元赤線地帯の鉄格子
コザの住宅地にある元赤線地帯の鉄格子

 

極東最大の米空軍基地「嘉手納基地」周辺(沖縄市コザ地帯)を練り歩く。ほぼ全住宅の窓が鉄格子柵で覆われていることに気づく。本土でこのような鉄格子付きの住宅を見たことはない。米兵による住宅侵入、強盗、婦女暴行事件から家族を守る為だ。数年前まで、地元の歴史博物館には、沖縄の日本復帰以前の米兵による性犯罪の記事(琉球新報、沖縄タイムズ)や物的証拠などが残されていた。が、その証拠品も過去に葬られた。

 

「過去」 ベトナム戦争の負の代償

米国文化が色濃く残るコザ一帯 元赤線地帯を渡り歩く

沖縄市の中心市街地である「コザ」周辺は、米国文化が色濃く残る地域だ。米兵を対象としたライブハウス、レストラン、バー、クラブなどが100件以上立ち並ぶ。1970年代、べトナム戦争時代、派遣兵相手の「夜の商売」で繁栄を極めた遺産でもある。1970年12月20日、米軍の県民に対する人権侵害に対する怒りが爆発し、米軍車両や施設を焼き討ちする事件「コザ暴動」が起きる。背後には、米軍兵士による数多くの婦女暴行事件があった。「僕は、小学校6年生の時、毎朝、見ては行けないものを見ていました。早朝6時ごろ、路地裏や暗いところで、米兵によって女性が強姦されているのです。私にとって生涯トラウマです。」

―。

コザ在住の牧師男性(75)は、子供時代をこう振り返る。

新聞配達の為、日が暗い早朝、近コザ周辺を自転車で駆け回り、ほぼ日常的に婦女暴行の現場を目撃。これはあくまでも氷山の一角だ。犯罪の背後には、麻薬の存在があった。戦争に送り出される前、米兵らは恐怖を和らげるために覚醒剤などを頻繁に使用していた。日米地位協定における米軍基地の「治外法権」的な特権で、住民に対する犯罪は闇へと葬られる。

1970年前後、沖縄は東南アジアと米本土を結ぶ麻薬密輸ルートの中継地だった(米議会の調査報告書)。戦争に副産物、武器、麻薬、違法密輸の国際交差点だった。同牧師男性は、婦女暴行事件の他、毎晩のように浴びるように酒を飲み、麻薬に手を出す若い米兵らを横目で見ていた。


1970年台のベトナム戦争で薬物を打つ米兵
1970年台のベトナム戦争で薬物を打つ米兵

 

1970年代にコザの赤線地帯で盛り上がる黒人兵士たち
1970年代にコザの赤線地帯で盛り上がる黒人兵士たち

 

日本一の子ども貧困地帯 「貧困」」から「麻薬撲滅」へ。

「夏休み期間、子どもらが麻薬の誘惑に陥らないようにお祈りください」

 

過去から現在に戻る。7月上旬、同地域の子どもたちを助けるべく、こんなメッセージを1週前、たまたま耳にした。

「夏休み期間、子どもらが麻薬の誘惑に陥らないようにお祈りください」―。コザ地帯付近で子ども食堂(沖縄市照屋)を運営する代表女性が、「麻薬から子どもらを守るよう」に周囲に呼びかけた。「子ども食堂」の小学生、そして卒業生の未成年らが、麻薬関係でトラブルに巻き込まれることが多くなったのだ。昨年までは、「夏休み期間、学校給食がなくなり、食事にありつけない子どもらが一気に痩せてしまいます。寄付にご協力下さい」との呼びかけの内容が、突然「麻薬注意」へと激変した。

 

コロナ以降、子どもや未成年者を取り巻く風紀は悪化している。危険ドラッグ「笑気麻酔」などを含め、10代の薬物事犯が急増。10代で妊娠、出産する割合が全国平均に比べ2倍。母子世帯出現率は1位。高校中退率は1位。そして沖縄の子どもの相対貧困率は29.9パーセントと全国平均より2.2倍高い。地元紙によると、2024年不正薬物の摘発が過去最多となり、米軍関係者の輸入などが要因の一つとされている。

 

10代少女の売春、DV、家出、そして望まない妊娠を目撃することにもなった。家出中の14歳の少女マヤ(仮名)は、父親の家庭内暴力から逃れるため、コロナ渦中、家出。そこで、キャバクラ嬢として年齢を偽り夜の街で働き、妊娠。妊娠中、先輩らの勧誘で麻薬にも手を染めた。帝王切開で、中学卒業後の春、男児を無事出産したが、3か月後、男児は原因不明の突然死を迎える。


米兵を相手にしたコザ中心街の赤線地帯にある元女性の人身売買取引所の建物
米兵を相手にしたコザ中心街の赤線地帯にある元女性の人身売買取引所の建物

 

戦争は完全に終結したのか? 見えない戦争は続いてはないか?知り合いになった18歳の少女がぼそぼそっとこう打ち明けた。「私のようなV被害者少女が逃げ込めるシェルターが欲しい。とにかく、家が欲しい。周囲には16、17歳のシングルマザーが沢山いる。皆、キャバクラで働いている。夜の街で生きていく他、生きていく術はない」

 

「平和を実現する人々は幸いである」(マタイによる福音書 第5章9節)―。平和を実現するとは、「平和を作り出す人」という意味でもある。「家が欲しい」と希望する少女の声を聞き届けてあげたい。


コザの元赤線地帯に残る当時の面影
コザの元赤線地帯に残る当時の面影
1970年代のコザを記録した写真集
1970年代のコザを記録した写真集
赤線地帯の建物で遊ぶ沖縄の子供達
赤線地帯の建物で遊ぶ沖縄の子供達

かつての赤線地帯は今や沖縄の最貧地区となり、3食ままならない食生活の中で同じ場所にできた子ども食堂に集まる子供たち
かつての赤線地帯は今や沖縄の最貧地区となり、3食ままならない食生活の中で同じ場所にできた子ども食堂に集まる子供たち

           


 
 
 

2件のコメント


川嶋 茂雄
川嶋 茂雄
9月03日

凄い記者だわwさすが、瀬川さん!それで、沖縄に来いと言うのか!深い事情までは知らなかったわ。さすがです。

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a.murayama86
8月30日

1970年代の遺産?

行政を動かして何とかしたいね。

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